2015年11月29日日曜日

自作 スカジットライン

フローティングのスカジットラインを作りました。普通のWF8Fのベリー部分を短くするだけの簡単なものです。古くなったラインの再利用と、お金の節約を兼ねました。

フロントテーパーとリヤテーパーをブレイッドラインで連結させた、4.5メートルの短いヘッドのフローティングスカジットラインです
。ブレイデッドは、太いLかXLでないと、カット部分が入りません。補強のために、両端と中間に絹糸を巻いてから、瞬間接着剤でコーティングしました。

このラインで、周年解禁になったホームリバーのニジマス釣りに行きました。
ニジマスがライズする川幅20メートルほどのプール状の流れがあるのですが、岸にはススキと柳の林があって、ふつうのWFやDTだとバックキャストでは引っかかってしまいます。

ロールキャストも繰り返すと、水面を波立てるうちに、魚が警戒するのか、ライズが止まるし、ドライフライの乾きが悪く、フライ交換が面倒。そこで4.5メートルのスカジットライン登場です。柳の木までが、6メートル。リーダーもテーパー部分だけを、1.5メートル
にカットしました。竿はスミスの4番。
キャストしてみると、バックの柳の枝にフライを引っ掛けずにすみました。だけど、飛距離は10~12メートルがやっと。それでも緩い流れのライズに、フライが届くと、ニジマスが食いつきました。

晩秋から冬になり、吹く風も寒く、水も冷たい。この日の釣りの後、ひどい風邪をひきました。肉体的に禁漁になってしまいました。












2015年10月11日日曜日

初めてのハス

今日はホームリバーで、初めてハスを釣りました。


関西ではポピュラーな魚らしいですが、私は東日本の山国に住んでいるので、とてもうれしかったです。琵琶湖の鮎に混ざって放流されるらしい。オイカワのライズを狙っていたのですが、引きがオイカワより強く、やや大きい。ウロコが銀色で、背の色がグリーン。とても美しい。成長すると30㎝にもなるとのこと。関西に旅行に行けたら、ぜひ釣ってみたい。

赤色のグラスロッド、新しく買いました。リサイクルショップで、2000円ほどでした。

そんな値段なので、まったく期待していなかったのですが、いざ使ってみたら、すばらしく扱いやすく、これぞパラボリック!。もしシャルル リッツが生きていたら、絶賛したのでは。スケルトンという竿で、同名のリールもあります。
メーカーはたぶんキャップス。グラスの竿が、日の光で半透明になると、子供の時に使っていた餌釣り用の竿や、その頃の川の景色が思い出されます。





















2015年7月14日火曜日

2週連続で、大岩魚

おとといの日曜日、また大イワナが釣れました。

35㎝。10番のウルフパターンのドライフライでした。
2週連続で大物釣れたのは、初めてです。

川は、増水していました。
元気のいい魚で、フッキングのあと、底に潜りながら、上流へ進んでいきました。
一般に、増水や濁りでは、沈めるニンフやウエットが有利と言われてますが、今年はなぜかドライフライで大物がつれました。

テンカラ(ソフトハックル)の釣りも、またやりたいと思います。
テンカラは、毛鉤が見えないので、どのあたりを流れているか、どんな状態か、魚が食ったらアタリはどのように竿やイトに伝わるか、つねに想像しながら操作するので、それが面白い時もあれば、しんどいと感じるときもあります。とくに、魚の反応が無い日は、ドライフライの釣りよりも、疲れます。それだけに、自分の想像どおりに釣れたときには、自己満足が得られます。
ただ水面に大きな魚が反転するのが見れるドライフライは、やっぱり面白い。

河原に立ったまま、どちらのフライをイトに結ぶか、いつも悩みます。もう少しリラックスして、釣りを楽しめばいいのに。

2015年7月7日火曜日

ニシムラロッド


おとといの日曜日、渓流で大きなイワナが釣れました。


ドライフライのハンピー、12番。


あともう少しで、40㎝近い大物。梅雨で濁った水面に、勢いよく反転して喰いました。


竿はIZCH(アイザック)のグラスロッドで、グレイリングシリーズの
7feet9inch 3番。ゴム製の棒みたいに、バットから曲がります。
やや太めで肉厚なブランクが、魚の引きを吸収するので、低番手でも安心して取り込めます。(ほんとうは、バレないでくれと、冷や冷やでした)
バンブーロッドビルダーの西村俊朗さんご本人が組み立ててくれた竿です(自慢)。なので、special buildとサインしてあります。

西村さんの工房に、先輩のTさんとよく行っては、釣り談議をして、作業を邪魔してしまったかもしれないです。私も当時、時間と体力と使えるお金は、ほとんど釣りに。
もうあの頃から、20年近く経ちます。早いものだ、とつくづく感じます。この20年の速度で、残りの人生が過ぎ去ることを思うと、正直怖いです。




2015年6月19日金曜日

アンタッチャブル川 (untouchable river)

アンタッチャブル川は、日本海に注いでいます。私が勝手に名付けました。
豪雪地帯を流れて、河原に雪がなくなるのが、5月。濁った雪解け水がおさまるのが、6月初め。それから間もなくして、梅雨の増水。それがやっとおさまると、虻の猛攻撃。その間も集中豪雨や台風通過で泥流に。そのまま9月末で、禁漁期間に。
年間券を買っても満足に釣りができなかったり、現場で監視員から日釣り券を買うと2000円もします。

中流域から下流にかけて、これでもかと言うほど、堰堤や発電用の取水や放水口が連続しています。工業用品や農薬肥料メーカーの工場もあり、煙突からは煙が匂い、排水路は不気味な色をしています。
自治体では、この川のウグイやコイは、食用抑制の対象。つまり、食べるな、危険。亡くなった方もいて、症状は水俣病に似ていたようです。
数十年前、飲用水にこの川の水を使う計画もあったようですが、中止になりました。工場の担当者が行政側に、「水質検査したところ、汚染されているのでやめたほうがいい。ただ汚染原因は、自分の工場ではありませんが。」と連絡してきたそうです。支流には、火山性の酸性の川があったり、水銀が流れたりしています。根本原因が、人工的か自然由来かは、はっきりしない。
漁協は、そんな水域でも、毎年恒例に鮎の放流と、鮭の採卵事業は続けています。また不思議なことに河口やその近くの海では、釣り人が普通にスズキ、ハゼ、クロダイなどを釣って、食べています。安全か危険か、なんだかよくわからない。



人間が飲めない水の川での釣り。
そんなアンタッチャブル川、中流域のニジマスです。

30㎝ほどですが、体高があって、銀ピカでした。
ドライフライ(エルクヘアカディス)で釣りました。

写真だと、美しい川の、綺麗な渓流魚。

2015年5月4日月曜日

木彫りのサカナ展

木彫り作家、井上進さんの展覧会を見てきました。
どの作品も、精巧で美しかったです。
井上さんは、テンカラ釣りが好きだということ。

この作品は、若い女性が購入していました。なんでも、お父さんがテンカラ釣りが好きだから、と言ってました。

私は5㎝ほどの岩魚を2つ、買いました。
わたしの机で、泳いでいます。

2015年2月22日日曜日

テンカラ、開眼? その10

   テンカラ釣りと密教

まず、お願いです。
これから書くことは、ほとんど仮説だったり、妄想の産物です。また、即身仏と言って、ミイラ化した人間の写真も掲載します。
テンカラという日本の毛鉤釣りが、自然に発生したものか、それとも伝道者のような存在がいたのか。その仮説としてある人物を紹介するためです。もしも死骸の写真など見たくないという方は、このブログを閉じてください。


では、本題に入ります。

その9で、テンカラ釣りの普及に、山伏、行者、聖、など山岳信仰の修験者が係わっていたのでは、と書きました。弘法大師空海を祖とする彼らは、ただ山奥で仏教信仰と自然崇拝や木喰修行だけをしていたわけでなく、庶民の暮らしを助けるために、農業指導や井戸掘りをしたり、医学を教えたり、鉱山開発や温泉などの産業振興をしていました。博識な学者のようなイメージを持つかもしれませんが、実際にはいろいろな職業の人々が信仰のために集まることで、高次元な能力を持った集団が出来上がったようです。優秀だけど、実社会であまりうまくやっていけなかったり、何らかの事情で、世間から逃げ出してきた男たちで構成されて、彼らの知恵や行動力が、生活に困窮する庶民には、ただ寺の中で経文を唱えるだけの僧侶よりは、はるかにありがたい超能力者のようだったと思います。

山形県の出羽三山に、湯殿山という霊場があります。
200年前、江戸時代の後期、ここで修行を積んだ「鉄門海(テツモンカイ tetumonkai)」という男がいました。土木工事の労働者でしたが、女のことで武士とケンカをして殺してしまい、逃げるために山伏修行で身を隠したのです。
その後、彼は困難に直面した民衆のために、伝染病の山村で祈祷したり、医術を教えたり、1万人ものボランティアを集めて、港と城下町の間の険しい山に、荷物運搬用の道路を作ったりなどの功績がありました。
またかなり変わり者で、昔の彼女が会いに来ると、「おまえの欲しいのはコレだろう」と自分のキンタマを切り取って渡したり、江戸で悪質な眼病が流行すると、自分の左眼を抜き取って祈願したそうです。

彼は収入の少ない海の漁師たちに、蛸(タコ)釣りの仕掛けを教えたそうです。テンヤ鉤や餌木の鉤のようなもので、蛸が餌に抱きつくと、鉤が引っかかるシステムです。現代でも、山形県では蛸釣り漁で使われているとのことです。


漁師たちはこの鉤や仕掛けを、感謝の意味をこめて、テツモンカイと呼ぶそうです。
鉄門海は筏流しの仕事もしていたようですが、海の漁について専門家だったかは不明です。ただ、出羽三山には日本中から修験者が集まっていたので、彼の弟子や仲間に漁師がいて、地元の漁民が初めて目にする釣りかたを、教えてくれたかもしれません。
鉄門海は山形県だけでなく、北日本の各地を修行しながら、旅をしたとのことです。その時に魚の生態や漁に詳しい弟子が、旅先の川で地元の川漁師などに、短い竹竿と馬の尻尾の糸に毛鉤を結んで、岩魚や山女魚を釣る方法を伝授したのではないでしょうか。
tetumonkaiとtenkara 。言葉の響きもちょっと似ています。里の人々が、「鉄門海らが教えてくれた釣りかた」が、訛ったり変化して、テンカラになったのでは。
ちなみに、山形県の隣の新潟県では、鮭釣り用のイカリ型の引っ掛け鉤を「テンカラ」と呼びます。これも鉄門海らが伝授したのではと思ってしまいます。

鉄門海は多くの庶民に慕われました。62歳で風邪が原因で亡くなりましたが、遺体は彼の希望もあり、乾燥保存して即身仏として、信仰の対象になりました。今も山形県の注連寺に行けば、対面することができます。

世を捨てたのか、世から捨てられたのか。そんな無用者の男たちが、山岳信仰を経由して、再び世のため、他人のために生きた。鉄門海は歴史の片隅にかろうじて残っているが、名も無き弟子や仲間たちはどんな一生を送って、どんな最期を迎えたのか。
きっと、粗末な竹竿や簡素な毛鉤に、彼らの思いや魂が詰っている。


2月後半になり、解禁シーズンになりました。若い頃は、寒さなど気にせず、仕事をサボってでも、あちこちの川に出掛けましたが、いまはまったく気力がありません。釣りをしないと禁断症状を覚えるほどだったのに。たんにタチの悪い怠け者になりました。とてもじゃないけど、鉄門海たちのようには、生きられない。

鉄門海の生い立ちや写真は、唐木順三全集(筑摩書房)、日本のミイラ仏 松本昭(ロッコウブックス)、NHK番組即身仏 東北に息づく信仰の謎 を参考資料にしました。



2015年2月2日月曜日

テンカラ、開眼? その9

  テンカラと修験者


 日本でテンカラ釣りが広まったのは、1970年代。作家の山本素石さんが、信州の木曽地方にあった伝統漁法のテンカラを、釣り雑誌や本に紹介したことが始まりでした。わたしは、釣りキチ三平のコミックの、ヤマメが水面の毛鉤を反転して食いつくイラストが大好きでした。

テンカラ釣りは、素石さんが紹介する以前は、普通の日本人には全く接点の無い釣りで、今日の釣り出版物が「日本の伝統的な釣り方」と言うのは、ちょっと安易な気もします。「日本の隔絶された地域で伝承された」のほうが正確です。
理屈っぽくなってしまいました。今回のテーマと関係があるからです。

テンカラという言葉の語源は、いまだに謎です。ただ、テンカラが伝承された地域は、日光、木曽、そして静岡県の大井川上流。共通しているのは、修験者や山伏などの修行の地。彼らが袋小路のような山奥で食糧を確保するためのサバイバル術だったかもしれません。
(その8)で紹介した本には、続きがあります。


竿止めの術
ところで井川の村には、魚止め、竿止めという呪術があります。長男にしか伝えない厳しい掟があって、そう誰でもが知っているような呪術ではないといわれています。何回か望月繁福さんを訪ねて、その呪術の断片を聞きました。
「井川の村にはそれぞれ持ち山領分があって、川にも領分というものがあっただね。小河内の部落なら小河内川と東小河内川、田代は明神谷と信濃俣川なんかが、その領分だった。だから、よその者がその領分に入っても魚が釣れないように、術をかけてあったものだ。それが魚止め、竿止めの術だ。春の雪溶けの水を待って、谷を開ける術をする。モミジが川を流れるようになると、谷を閉じる術をやるだね。谷を開けてからも、よその者が竿を出しても一匹も釣れないように、もちろん術をかけておくわけだ」
~略~
「わたしも全部を知っているわけではないがよ、竿止めのかかった川では魚はまったく鉤を追わないだ。法印という人たちが主にその術をやった。呪文と印と切り紙があった。これは他人に教えてしまうと術でなくなるだで、教えるわけにはいかんがよ」

竿止めを破る術も。
「山暮らしの間には、どうしても他の領分に入らなくてはならないこともあるよ。それで、竿止めの術を破る術もあっただね。この術は一生に一度だけの術だといわれて、自分の命をはってかけるものだった。白と赤と青色の紙を魚型に切り出して、スズ竹にはさんで立てる。これを誰にも見られないようにやって、術をかけてやれば谷は開くだ。ただし、このことを他人にあばかれると命をなくすので、切り紙を誰にも見出せん場所へ隠しておくだ」
呪文と印はとうとう教えてもらえませんでしたが、白と赤と青色の切り紙は幣束状のものだったらしく、形はヤマメの型を切り出すらしい。
~略。

いまの日本人には、テンカラ釣りは娯楽です。昔の食糧事情の厳しい山間でテンカラの釣り人は、命がけでヤマメを釣っていたようです。
大井川も木曽川も、正式にはヤマメではなく、アマゴと呼ぶのが正しいはずです。しかし双方で、なぜか地元では、ヤマメと言います。

交通網の発達した現在でも、大井川上流と木曽はかなり遠いです。直線距離なら100㎞程度ですが、南アルプスと中央アルプスがあるため、車で行くにしても、かなり迂回して、1日コースのドライブになります。車や鉄道のない時代は、両者の交流は、無かったはずです。だけど、アマゴをヤマメと呼び、テンカラで釣る。
昔の山伏たちは、連なる山々を、毛細血管のようにルートを開拓していたと言われてます。里に降りることなく、長距離を移動していたようです。イギリスの協力で維新をした明治政府は、支配がむずかしい山岳信仰者たちを敵視して、修験道を禁止して弾圧したため、山伏たちの足跡は、遺跡や観光化した行事としてしか残っていません。
しかし、テンカラが日本で見直され、イギリスやアメリカのフライフィッシャーマンにも注目されるというのは、山の民の持っている感覚や精神が袋小路でなく、海や大陸を超えて、棒を片手に持って河原に立つ人間に伝わっているのだと思います。その感覚や精神を具体的に表現するのは、私のような普通の日本人にはできませんが。



2015年1月27日火曜日

テンカラ、開眼? その8

   日本のいにしえの秘技

モグラの尻尾の毛鉤

偶然、図書館で面白い本を見つけました。「宮本常一とあるいた昭和の日本」。発行は、農山漁村文化協会。1960年頃の、高度成長期の農村漁村の昔ながらの生活が変化したり、失われる過程で、かろうじて残っている伝統的な暮らしぶりや行事を取材した紀行文だ。



その東海北陸2に、八木洋行さんというライターが、静岡県の大井川上流の山村地域を旅した記録がある。
田代という集落で、滝浪さんという家で、ヤマメの混ぜご飯をごちそうになります。ヤマメは、祭りや来客の時の、貴重なごちそうだったようです。

本文から。
テンカラ釣り
滝浪さんは、モグラのしっぽで毛鉤を作ります。鉤にモグラのしっぽを通して乾燥すると、しっぽの毛がふさふさして毛虫のような具合になります。これだけで、結構ヤマメが釣れるのだそうで、田代には古くからあったといわれます。毛鉤の釣りをテンカラ釣りといいます。テンカラ釣り用の竿は、スズ竹ニ本のつなぎ竿で、三メートルほどのものを使いますが、手元のグリップを桐で作り、形態は近代的な西洋風のものと変わりません。小河内の望月繁福さん(明治31年生)が、テンカラ用の竿作りの名人でした。昨年の夏、おしくも他界されましたが、生前作っていただいた竿は、見てくれはもう一つですが、腰の具合はなかなか良く、六メートルのラインを充分とばせます。それに穂先が尻手からしまえるようになっていて、谷間を歩くにはこれが持ち運びに便利で、気に入っています。~略~


モグラのしっぽの毛鉤! 日本のテンカラ毛鉤と言えば、ニワトリがほとんどで、あとはキジ、スズメなどの鳥だ。モグラのしっぽの毛鉤は、アメリカやイギリスにも、あまり無いのでは、と思います。
しかもタイイングするのではなく、鉤に通して乾燥させて固着するというのが、ワイルドだ。見た目は、ウーリーワームに近いのかもしれない。釣りの指南書ではないので、毛鉤の写真は載ってない。現物をぜひ見たかったです。もしかすると、水に濡れると、しっぽから、味やにおい成分が出るのかも?

その9に続く


2015年1月17日土曜日

テンカラ、開眼? その7

   秘技? ライゼンリング リフト

ニンフの達人たちの本の文中に、ライゼンリングという人物の名前が何度か出てくる。この本が作られた頃には、彼はすでに亡くなっていた。だから、残念ながら、彼自身の原稿は、この本には無い。
ただ、ソフトハックルの釣り師として有名で、ライゼンリング リフトという技で釣っていたらしい。
彼の釣り仲間のハイディさんとエド・ザーンさんが、思い出話とともに、解説してくれる。

エド・ザーンさんは、次のように書いている。ふたりで川岸に腰をおろしながらの会話から。


わたしは礼を言って、新しく出版されたかれの本をちょうど読んでいるところだと言った。その本でかれは、ウエットフライ・フィッシャーマンは、フライを自由に流しながら、しかもフライとの密接なつながりを保持しなければならない、と主張していた。そこでわたしは、「どうすれば、フライを流れのままに自由に流しながら、しかも密接なつながりを持つことができるのか。現実には、つながりを保とうとすれば、ドラッグが生じるのではないか」と質問した。
「見せてあげよう」とライゼンリングは言って、流れの速くなるプールの下流際におりていった。それまでわたしが考えてもみないほど水際に接近して、かれは毛のうすいウエットフライを2~3ヤード上流に振りこんだ。そのまま竿先をたかく保持して、正面にフライを通過させ、下流側に流してやった。全体として流した距離は、せいぜい、15フィート(4.5メートル)だったが、その間フライは明らかに自然に流れ、マスがフライに触れたとすれば、必ずジムはそれを感じるなり、見るなりしたにちがいない。実演がおわると、かれは、同じテクニックで釣りながら、下流へくだっていった。
~略~。

このあとエドさんは、ジム・ライゼンリングの真似をしたところ、師匠よりもたくさん釣ってしまった、ということだ。また文中で、意図的に、あるいは偶然に、フライが上昇するときに、魚が反応すると書かれている。
ハイディさんは、ライゼンリングが竿先を高くしていくことで、フライの毛先をふるわし、動かし、水面に昇らせ、同時に虫が逃げる様子を表現するのが、ライゼンリング リフトだと書いている。

魚のいると予想した場所に自然に流してから、竿を上げてちょっと誘いをかける。ただこれだけのことだけど、人間は西洋でも東洋でも、似たような毛鉤で、似たような操作を、マスを相手にしていたみたいです。マスの眼には、似たような人間に映っているのだと思います。「棒を持ったロクでもないヤツ~」と。

その8に続きます。



  

2015年1月2日金曜日

テンカラ開眼? その6

指南書

毛鉤を自然に流すには、糸にたるみが必要。水中を沈みながら、自然に流れる毛鉤。魚が食いついたのを感知するには?

それに悩んだのは、日本人だけではない。ヨーロッパやアメリカの釣り人も、悩んだ。その苦闘の歴史を読めるのが、「ニンフの達人たち(THE MASTERS ON THE NYMPH)」。訳 星野亮介、発行 TIEMCO


1981年に、日本語版が発行されたので、英語版はもっと前に出版されたと思います。
アメリカとイギリスの釣り人18人が、それぞれの釣り方を、紹介しています。レフティー クレー、フランク ソーヤー、カール リチャーズなど、有名な釣り人が、投稿しています。

それぞれが独自に研究して、到達した釣りのスタイルです。それらの違いは、川の形状の違いによるものだと考えられます。落差のある山岳渓流、平地の里川、湧き水で水草の多い川、川幅が広い本流、それと湖。それに合わせて、釣り方も仕掛けや竿の種類も、まったく別のものになります。

また、狙う層によっても、仕掛けは変わります。水面直下なら、日本のテンカラと同様のフライを使います。底近くだと、フックにウエイトを巻いたものから、ツイストンという板オモリを釣り糸に巻きつけたり、ファーストシンキングラインを使う釣り方まで教えてくれます。

私の好きなテンカラに近い釣り方は、また次回で。
2015年も、もう少しフライロッドでのテンカラ釣りが上達したいものです。